恋してるとか好きだとか、そんなのよくわかんない。
 わかんないけど。



「……ンだよ、てめぇか、はぐれ野郎」



 どうしようもなく相性が悪い相手というものが存在する、というのはよく分かる。分かった。
 もう嫌ってくらい。






『恋してるとか好きだとか』






 ばり、と足の裏で乾いた小枝が潰れる。サイジェントの街中とは違う、すこし湿った森の空気を胸一杯に吸い込んで、大きく両手を上に。
「んー」
 たまに一人になると、何か開放感があるなぁ、とナツミは思う。なにしろもと孤児院だったあの家は一応部屋は貰っているものの、壁が薄くて物音とか声とか良く聞こえるし、常に誰かが周りにいる。それが嫌というわけではないのだけれど。
「……やっぱり、一人になりたいときはあるよねぇ」
 こうやって一人になってみると、開放感を感じる。ということは、自覚はなくとも少しは窮屈に思っていたんだろう、と思う。
 ナツミは足を止めて、視線を上に向ける。辺りには両腕を広げるように枝を伸ばした木々と、青く茂る葉っぱの群れ。その隙間から、太陽の光が差し込んで、まるで童話の風景のように辺りに光の濃淡を作っている。
 ふと思い立って、ナツミは腰にぶら下げている剣に手をかける。辺りを見回す。吹き抜けていく風が葉を揺らして音を立てているだけで、周囲には誰もいない。気配もしない。こっそりつけてきそうなクラレットは今日は朝からどこかに出かけていた。大丈夫。
「こう――」抜き打ち。そのまま体を回転させての後ろ蹴りから、切り下ろし。「――かな」
 ほんの十二時間ほど前に、バノッサにやられた攻撃を思い出して、なぞってみる。何度か同じ型を繰り返して、なるほど、と頷いてみる。
 こうやって振り返ってみると、確かにバノッサは強い、と思う。つい先日剣を握り始めた自分とは咄嗟に出てくる反応の引き出しの量が違う。それを体に覚え込ませるためにはどれほどの修練を必要とするのか、と考えると、少し気が遠くなる。

「……レイドは、強いねぇ」
 肩で息をしながら、ナツミは言った。こめかみから流れた汗が頬を伝い、顎の先から地面に小さな染みを落とす。足は中に鉛でも詰め込まれたみたいに重いし、しっかりと剣を握っている積もりでも、今にもすっぽ抜けて落としてしまいそうだ。
「そうでもないよ。上には上がいるものだ」
 謙遜の言葉。でも、レイドは心底そう思っているんだなぁ、と思う。本当に強い人は、決して傲ったりはしない。過大評価も、過小評価もせずに、自分と相手のと力量を性格に見抜く。もし、自分の力量が劣っていると判断しても――自らの持てる力で、どこを攻めれば勝てるかを見抜き、判断し、決断する。
 まだまだというのも、おこがましい。そうナツミは思う。
「しかし、ナツミは驚くほど飲み込みが早いな」
「……そう?」
「変な癖がまったくついていなかったからかもしれないが……君ほど吸収が早い人を、私は見たことがないよ」
「お世辞でも、嬉しいな。その気になっちゃうよ?」
「本音だよ」
 言って、レイドは笑う。ナツミも少し笑って、その場に座り込んだ。ちょっと休まないと歩けそうもない。
 自分の方はそういう状態だというのに、レイドはそこから更に、基本の型の素振りを始めた。体力ももちろん違うし、精神力も違う。ナツミは両手を握ったり開いたりしながら思う。レイドと実際打ち合わなくても、剣を構えた彼の前に立っているだけで体力が奪われていく。
 そしてなにより、無駄な動きがない。ばたばたと無駄な動きの多い自分と違って、レイドの動作には無駄がない。足の運び、剣の軌跡。最小限の動きで、最大限の効果を。
 レイドの動作を見ながら、頭の中で繰り返されるのは、いつも襲いかかってくる双剣の軌跡だった。二つの剣がまるで別々の人間が手にしているようにあらゆる角度から襲ってくる。剣だけに意識を集中していると、行儀の悪い脚が飛んでくる。あれを止めるためにはどうしたらいいのか。受けるだけじゃなくて、崩して攻めに回るためにはどうしたらいいのか。
「ナツミ」
 不意に名前を呼ばれて、ふわふわと空に浮かんでいた意識が現実へと引き戻される。
「……何、レイド」
「その目だよ。私が、君が強くなると思うのは」
「へ?」
「勝ちたい相手がいるんだろう?」
「……うん」
「君はいつも、その相手にどうやったら勝てるかを考えている。そして、私の技も、その相手の動きも、どんなことでも吸収して自分のものにしようとしている」
 言われてみれば、はっきりと自覚はしていなかったが、レイドの言葉は正しいと思った。
 アイツに勝つためにはどうしたらいいのか。剣を握っているときは、そんなことばかり考える。
「その貪欲さが、きっと君を強くする」

「貪欲さ……か」
 そんなものが自分にあるのかどうか、ナツミには分からなかった。ただ、負けず嫌いではあるかな、と思う。部活動でもそうだった。やるからには勝ちたい。勝つためにやりたい。そう思ってはいた。
 だけれど。ナツミは思う。今思うこの感情は、それなのだろうか。ただ勝ちたい。それだけの感情なのだろうか。考え出すと、分からなくなる。
 強くなりたい。そう思う。そして、自分が強くなることに、剣の技術が上達することに、喜びを感じているのは事実。
 けれど。ようやくにして、ナツミは思い至った。強くなって、それで、どうするのか。なんのために強くなるのか。強くなって、自分はいったい何をしたいのか。上達した剣の腕で、敵を切り伏せることに快楽を憶えるのか。
 剣を握る手が知らず知らず汗ばむ。違う。ナツミは自分に言い聞かせる。違う。違う。そんなことのために強くなるんじゃない。それは、それだけは、違う。違う、と思っているのに。
 それを否定するものが、自分の中に見当たらない。
 風を切る音。横薙ぎに振るわれた剣。迷いを断ち切るように振ったそれを鞘に収めると、ナツミは森の奥に向かって歩き出した。見上げた空は、まだ太陽が中天にある。時間は十分ある。気晴らしに山菜を取ったり乾いた薪になるような枝でも拾って帰ろう。何かしている方が気が紛れるから。
 そう思って足を前に出したその矢先。
 がさがさ、と右手前の茂みが揺れる。反射的に後ろに跳び、剣の柄に手を掛ける。揺れる茂みから、結構見慣れてしまっていた銀色が飛び出してくる。そうして、ナツミは剣の柄に手を掛けたまま、飛び出してきた彼と数秒間、ぽかんと視線を合わせてしまった。
 少し痛い静寂。
 見慣れた銀色。
 バノッサ。
 そこにあったのは、ナツミの知らない、驚いてぽかんと口を開けている、少し間抜けな顔だった。そしてきっと、自分もそれに負けないくらい間抜けな顔をしているんだろうなぁ、と思う。
 ぶっちゃけありえない。なんでこんな場所で。
「……ンだよ、てめぇか、はぐれ野郎」
「ストーキング?」
「言葉の意味はわからねぇが、違う、と言っておく」
 チ、と舌打ちして、バノッサは言う。めんどくさそうな表情。なのに、次の瞬間、その表情はまったく別のものに変わっていた。例えるなら、そう、玩具を見つけた、タチの悪い子供のような――
「ちょうどいいな。手伝え、はぐれ野郎」
「は?」
 意味が分からない。手伝え? いったい何を手伝えというのか。
 それを問いただそうと思って口を開く、その前に、たくさんの足音。チンピラ風の男がたくさん。訳が分からず呆然としていると、あっという間に囲まれてしまっていた。人数は十五人くらい。
「おーおーおー。また豪勢な追っかけだなぁ、ああ?」
「……何しでかしたのよ、バノッサ」明らかにこう、ブチ殺してやるぜ的オーラを全開で放出しまくっている集団に目を向けながら、ナツミが訊く。
「さぁな。なんかやっちまったんだろうが、イチイチんなモン憶えてられっかよ」
「幸せな人生送ってるよね、ホントに……」
 じりじり、と包囲の人垣が狭まってくる。
「オラオラ、きりきり手伝えはぐれ野郎」
「なんであたしが……」
 ははん、とバノッサはせせら笑う。
「この状況で『私無関係でーす』なんて言い訳が通じるとでも思ってンのか?」
 確かに、通じそうに無かった。すでにナツミもバノッサを見るような殺意の籠もった目で見られている。
「いやあ、まきこんじまって悪いな。だが、オマエがいればこんなやつら、百人いたってチョロいぜ。なぁ――『ナツミ』」
 これ見よがしにそんなことを言う。あ、相手、なんか、もうマジギレ5秒前? って感じ?
「……おぼえてろちくしょー!」
「ははっ。ウゼェ喧嘩だと思ってたが、楽しめるかもしれねェな!」
 バノッサが剣を抜き、真っ先に飛びかかってきた一人を斬り伏せる。その背中を狙って突っ込んできた別の相手の腕を、ナツミの剣が斬り裂いた。
「ちゃんと後ろ見てなさいよっ!」
「テメェもな!」
 ナツミの死角から繰り出された斬撃をバノッサの右の剣が受け止め、左の剣がそれを放った相手を打ち倒す。
「だから、後ろががら空きだってのよ!」
 左手に、ナイフ。逆手に持ったそれでバノッサを狙った剣を弾き、右手の剣で肩口を抉る。
「テメェも人様のこと言えンのかよっ!」
 死角から、死角。お互いの目を届かない場所をカバーしながら、戦う。仲が良い訳じゃない。バノッサと自分は仲間じゃない。だけど、負けないためにやることは、同じ。
 一方的に巻き込まれて、腹は立つし、頭に来るけど、やらなきゃやられるなら、やるしかない。気に食わなくたって。頭にきてたって。仲が良くなくったって。ぶっちゃけ嫌いだったって。
 強さだけなら、信頼できる。負けたくないと、バノッサがそう思っているのだったら、強さだけは他の誰よりも信頼できる。バノッサの強さを一番良く知っているのは、自分なのだ。
「バノッサ! 飛び出しすぎ! 囲まれる!」
「うるせぇ! フォローしやがれはぐれ野郎!」
 このワガママ美白俺サマ野郎。口の中で毒づきながら、突き、薙ぎ、払い、僅かに出来る空白の瞬間に召還術を起動して、バノッサの背中を守る。自然と触れた背中。お互いの死角をカバーする、背中合わせ。合わせた背中がじっとりと汗ばんで、熱い。
 そう、熱い。
 呼吸がぴたりと一致する。
 アイツが次にどう動くか、不思議と分かる。
 自分の手足が、自然とそれに対応して動いている。
 まるで翼が生えているかのように、体が軽い。鳥が羽ばたくように、お互いが合図も無しに左右に開く。
 ――ヤバイ。ナツミは思う。これって、ちょっと、ヤバイかも。
 左手のナイフと、右手の剣。独学で練習していた、見よう見まねの二刀流。お互いがお互いの隙間を埋めるように動く、四つの刃。自分はおかしくなってしまったのかもしれない、とナツミは思う。だって、バノッサは敵なのに、今だけだってわかっているのに、こうやって力を合わせて戦っている。熱い。体の芯が、燃えるように熱い。こみ上げてくる何かは、疲れた体をいつも以上に鋭く疾らせる。
 バノッサと、目が合った。一瞬だけの、時間が止まったような錯覚。一瞬だけの、何かを共有できたような、錯覚。
「――はっ」バノッサが笑う。
「――あ、ははっ」ナツミも笑う。
 何を求めているのか。
 何のために生きているのか。
 何をするためにリィンバウムへやってきたのか。
 何で強くなりたいと思っているのか。
 何が自分を突き動かすのか。
 そのどれもが、今この瞬間、手の届く場所にあるような気がした。手を伸ばせば、求めているものが得られるような気がした。
 でも、何もかもがどうでもよかった。
 この瞬間だけが、永遠に続けばいい、と思った。




「つっ……かれたぁ……」
「はん。この程度でか」
「アンタだって立てないじゃない」
「うるせぇ」
 全員きっちりぶちのめしたその後、同じ場所。二人はその場に、背中を合わせて座っていた。疲労困憊。お互いがお互いを支えるような、背中合わせ。
「ねえ」
「……ンだよ」
「背中べたべたして気持ち悪い」
「ならとっとと離れやがれ」
「それもダルイ」
「わけわかんねぇ」
「アンタが離れなさいよ」
「だりぃ」
「わけわかんない」
「はっ」
 ごめんね、とナツミは思う。ごめん。ごめんなさい。こんなこと、ダメなのは分かってる。分かってるんだ。
 でも、この感じがキモチイイから。
「はぐれ野郎」
「何?」
「……なんでもねぇよ」
「何よ」
「なんでもねぇ」
「ならなんで呼ぶのよ」
「うるせぇ」
「答えなさいよー」
「黙ってろ。しゃべるのもだりぃ」
「ぶー」
「ガキか」
「ガキだもーん」
 きっと、次に顔を合わせたときは、元通り。フラットとオプテュス。元通りに、敵同士。こんな風にいられるのは、きっと今だけだから。今だけだから、もう少しだけ、このままでいさせて。
 この感じ、凄くキモチイイんだ。
 吹き抜けていく風が、ほてった体と、この気持ちを冷ましてしまうまで。
 もう少しだけ、このままで。
 こんな気分になれるなんて、ひょっとしたら相性は悪くないんじゃない?
 そんなことを思って。
「ねえ、バノッサ」
 名前を呼ぶ。バノッサは首を捻る動作さえ緩慢にこちらを見る。もう少しでキスできそうな、そんな距離。瞳の中に、自分が映っている。今すぐに、このまま唇を奪われても、まったく抵抗しそうにない、そんな顔をした自分。
「ねえ」
 ちっ、とバノッサは舌打ちをする。
「――んだよ、ナツミ」
 恋してるとか好きだとか、そんなのよくわかんない。
 わかんないけど。
 ああ、名前を呼ぶだけで、こんなにも楽しいよ。
「バノッサ」
 どうしよう、ね?

 




初出:セカイノチュウシンデアイヲサケンダケダモノ
発行:柳水華

 同人誌からの再録です。コンセプトは『バノッサに愛を囁かせよう』
 お読み下さった方はおわかりの通り、完全にコンセプトに敗北しました。
 無理でした。こういうサツバツとした関係でしか書けませんでした。でもめいっぱいラブラブSSにしたつもりです。つもりだけ。言うだけならタダですよね(笑)