「自らの手で」老人は語った。「自らの手で、アレを超える剣を作り上げること。それが、儂の――俺の、夢だったのだ」
「おじいさん……」
「かって俺は、魔剣というものを打ったことがある。とはいっても、それはもとあったものを打ち直したにすぎん。だが、いい出来だった。剣を打ち終えたあとの一杯がまた格別でな。あれほどの味は、俺のこれまでの鍛冶師としての人生の中で何度も味わったことはない」
 ナツミは答えない。ただ、老人の話に耳を傾ける。
「ナツミ。魔王にして誓約者。エルゴの王にして、破壊を司る者よ。お前に預けたそれこそが、俺が目指した最高の剣だ。未完成ではあったがな……」老人は苦しそうに咳き込む。「そして、それ故に折れた、か」
「折れたのは」ナツミは言う。「あたしが、弱かったからです。剣を持つ者としての覚悟がなかったからです」
「ならば訊く。覚悟とは、何だ」
「人を殺す覚悟」
「……それが、おまえの覚悟か?」
「はい」
「そうか」
 咳。口元を押さえた老人の手。紅。
 折れた剣。老人はそれを鞘から抜き放ち、刀身を観察したあと、鞘に戻す。
「お前には、聞こえぬか」
「何が、ですか?」
「声だ。剣が泣いておるよ」
「剣、が?」
「惜しいかな」謳うように老人は言う。「俺にもう少し時間があれば……いや、この腕さえまともに動くのならば……」
 いや、と老人は小さく頭を振った。 「お前が気付いておらぬなら、それも意味のないことか」
 また咳。紅い。
「それを待つ時間も、この身には残されておらぬしな」
 わからない。ナツミは思う。彼が何を言っているのか、わからない。何を伝えようとしているのか、わからない。
 わからない。



 世界は優しい歌のようで。
 世界は悲しい歌のよう。



 引き抜いた剣は赤に染まっている。剣を握っていた腕も、紅く染まっている。キールの体はゆっくりと俯いたまま地面に倒れる。赤い水たまりがそのキールの体から広がって、ナツミの爪先を濡らす。
 ずん、と縦に揺れる振動がナツミと、声を掛けることができずに立ちつくしていたプラティを揺さぶった。拡散したあのすさまじい魔力と、戦いの余波だろう。ナツミは何かを振り切るようにして勢いよく振り返ると、走って、とプラティに向かって叫ぶ。崩れるよ、と。
「走って、プラティ」もう一度ナツミは言って、プラティの背中を押した。  慌てて走り出すプラティの後を、ナツミも走る。そのまえに、一度だけ、振り返る。先ほどとまったく変わらない格好で、キールは倒れている。そして、ずっと倒れたままだ。
「さようなら」ナツミは呟く。「……さようなら、クラレットの、お兄さん」
 そして、バノッサの兄弟。少しだけ、彼に似た目をした人。彼と同じように、自分が命を奪った人。
 崩れる洞窟の中で、落ちてくる岩石に、キールの姿が見えなくなる。
 憶えていよう、とナツミは思った。
 兄弟の中で一番年上で、そしてきっと、優しいお兄さんだった彼を、憶えていよう。
 それだけが、できることだから。



 振動の間隔が少しずつ狭くなっている。揺れながら、落ちてくる粉塵。崩壊はさほど遠くない。
 少し前を走っていたプラティが足を止めて、しゃがみ込む。
「なにを――」
 しているの、と言いかけて、ナツミは彼女が何をしようとしているか理解する。プラティは膝をつくと、壁にもたれるようにして意識を失っている男に肩を貸そうとしているところだった。
「プラティ」
 放っておけ、と言いたかった。言いそうになった。けれど、プラティの横顔を見ていると、その言葉は言えなかった。
「おかしいですよね」プラティが言う。「自分が倒した相手を助けようだなんて」
「そうだね」ナツミは言う。 「でも、わたし、こんな終わり嫌なんです。もう一回、ウレクサさんと話したいんです。文句だって言いたいんです。なんでこんなことしたんですか、っていっぱい文句言いたいんです」
 だって、とプラティは続ける。
「だって、ここで死んじゃったら、何も言えないじゃないですか。なにも分からないじゃないですか」
「うん」ナツミは頷く。「でもね、プラティ。命を助けることが、その人にとって救いになるかはわからないよ?」
「……お姉さんがいるんです」
「この人に?」
「ルマリさんって言うんですけど、ルマリさんにとっては、ウレクサさんが生きているだけで、それが救いなんだと、思うんです」
「なるほどね」ナツミはサモナイト石を取り出す。銀色。「それなら、協力しちゃおうか。おいで、ナックルボルトっ!」
 石と魔力によって開かれたゲートから、鋼鉄の巨人が現れる。洞窟を塞ぐほどの大きさの巨人は、体のバランスから考えて二周りほども大きな両腕を掲げて、崩壊を始めている洞窟を支える。
「お願いね。もうヤバイと思ったら引き上げてっ」
 巨人は不器用に、頷く。
「もう一つ、テテっ!」
 今度は緑の石。帽子を被ったペンギンのような格好をした召還獣は、小さな見た目に反して、軽々とウレクサの体を担ぎ上げる。
「テテ、お願いっ、出口まで走って!」
 テテはまかせろ、とばかりににやりと口元を曲げる。それに笑い返すと、ナツミはプラティを促して走り出す。


 太陽の光。走り続けて見えたそこに、三人は飛び込む。タッチダウンをするように踏み切って、太陽の光の下に転がった。
「あは、は……」
「せーふ、だねぇ……」
 当然だぜ、と言わんばかりのテテ。ウレクサの体を放り出すと、暴れ足りない、とばかりに両腕を振ってシャドーを始める。
「さんきゅー、テテ」
「ありがとう」
 銀色のサモナイト石を見る。ナックルボルトも無事に適度なところで戻ったようだった。「さんきゅ」ナツミは呟く。
「生きてる、ねぇ」仰向けに寝転がったまま、ナツミは言う。
「はい」プラティも同じように仰向けに。「生きてますよ、わたしたち」
「生きてるんだ」
「生きてます」
「きっと」ナツミが言う。「死んじゃうよりは、いいんだよ、ね」
「もちろんですよ」言って、プラティは体を起こす。
 ナツミも体を起こす。「じゃあやっぱ、生きてなきゃいけないね」
「ええ」プラティは頷く。
 よいしょ、と声をかけて、ナツミは立ち上がる。洞窟の入り口、初めてプラティと会った場所だ。少し前の、そのときに、自分はいったい何を思っていただろうか。
「ダメだね、すぐ忘れちゃう」
「え?」
「んにゃ、こっちの話」
 きっと、死んでしまったのだろう、とナツミは思う。何度も死んで、何度も生まれて。少しずつ、変わっていくのだろう。生まれ変わるように劇的でなくとも、少しずつ。
 どうしようか、と思う。帰ってクラレットに会ったら、まずなんて謝ろうか。
 ごめんね、か。
 迷惑かけたね、か。
 これからもよろしく、か。
 それとも、見捨てないでいてくれてありがとう、だろうか。
 キールのことはなんて伝えようか。
 帰るまでの道のりの中で、ゆっくり考えよう、と思う。時間はいっぱいある。生きていれば、どれだけでも時間はある。
「ナツミさん」まだ体力が回復していないのだろう、座ったままのプラティが言う。「あの、実は、その、厚かましいお願いがあるんですけど……」
 少し視線を泳がせた上目遣いで、プラティが言う。ナツミはその『お願い』の内容がなんとなく予測できた。できてしまった。だから、腰の後ろに帯びた鞘から、剣を抜く。ずっと持っていた剣。半分しかない刀身の、サモナイトソード。
「なんか、もとに戻っちゃったね、これ」
「そう、ですね」
「プラティさ、あのとき、何やったの?」
「えっと、その、無我夢中で、よく……」
「そっか。じゃあさ」ナツミは剣を鞘に収める。「今度は、プラティにこの剣直してもらおっかな」
「……え?」
「今はこれで帰るけど、また来るよ。今度はこの剣を直してもらうために」
「わたしで、いいんですか?」
 鞘の上から、剣に触れる。

 ね、それでいいでしょう?
 あんたの声を、聞いてくれたひとだから。

「わたし、もっともっと、腕を磨きます。もっともっと、いろんなことを勉強します。いつかきっと、その剣を元通りにできるような鍛冶師になります」
「楽しみにしてる」
 ささやかな握手。
「いつか、プラティにもサイジェントに来て欲しい。紹介したい鍛冶師さんがいるんだ」
「サイジェントにも?」
「うん。この剣を」ナツミは剣の柄に触れた。「一から鍛え上げた人」
「是非、お会いしたいです」
 どちらからとなく笑って、ナツミはプラティに背を向けた。
 乾いた風が頬を掠めていく。吸い込んだ空気は、砂の味がする。その味を噛みしめて、ナツミはもういない人のことを思う。先の無色の派閥の乱と呼ばれる戦いの中で死んでいった人たちのことを思う。自分が殺した人たちのことを思う。
 キール。
 キール・セルボルト。
 ああ、認めよう。自分は彼を殺したのだ。殺すために剣を振るい、殺すべくして殺したのだ。例え、それが彼の望みだったとしても、それがなんの言い訳になるだろうか。
「……痛いよ」掻き毟るように、ナツミは自らの上着の胸元を握り締めた。「胸が、痛い」
 生きているんだ、と思う。
 生きていくんだ、と思う。
 こんな痛みを抱えたまま、生きていくんだ、と思う。
 それが、きっと、覚悟なんだ。
「あたし、さぁ」ここにいない誰かに話しかけるようにして、ナツミは言う。「泣いても、いいのかなぁ」
 伝わることのないままに中に閉じこめられた言葉。表に出すことのないまま閉じこめられた想い。そのままの形で心にこびりつき、しかもそれは時間の中ですっかり熟成され、そこからは、いつしか甘い腐臭が漂いはじめ、それが鼻の奥をツンと刺激する。
 だから、涙が出る。
「……忘れるもんか」
 絶対に、忘れない。そのために、とりあえずは生きていよう。
 彼の想いを。彼の妹弟への想いを。
 最後の言葉を。
 焼き付いた記憶を。
 両手に残った、痺れるような重さを。
 交わした軽口を。
 助けたいと、思ったことを。助けようと思ったことを。だけど、助けられなかったことを。それでも助けたかったことを。
 絶対に。
「忘れる、もんか……!」
 ナツミは空を仰ぐ。日はまだ高く、白い雲が綿菓子のように浮かんでいて、ひどく眩しい。

 声が聞こえる。
 誇らしげに、剣が謳う。
 昨日の歌を、憶えている。
 新しい歌を、奏でている。

 履き慣れた靴が、乾いた地面を叩く。クラレットには何を言ったらいいのかまだ整理できていないけど、とりあえず彼女が何か言う前に先制攻撃で「ごめん」から入ろうかな。そんなことを思って、
 少しだけ、ナツミは笑った。





後書き