"長いお別れ" 4th story
『ゴーイング・ゼロ』




(……げ)
 男は微笑むと、優雅に一礼する。ナツミも慌てて頭を下げた。
 その男はゆっくりと、ナツミの傍まで歩いてきた。
「はじめまして」
「……はじめまして」
「このあたりではあまりみない方ですね」
「そお?」軽く肩を竦めて、ナツミは言った。「こんなの、どこにでもある顔だと思うけど?」
「顔のことはさておいて――」
 ちりちりする、とナツミは思った。なにか、なにか見落としている、そんな焦燥感。
 何を?
「あなたのお名前をお聞かせ願えませんか?」
「ナツミ。――あなたは?」
「レイムと申します」
 イケナイ。
 コイツトコレイジョウハナシテハイケナイ――
 ココロが警鐘を鳴らす。
 ナツミは坐ったままでレイムを見上げている。一瞬だけ、レイムの目が細まったのをナツミは見逃さなかった。その瞬間、ナツミはレイムを『敵』だと認識した。
「ナツミさん、あなたは召還師ですね?」
 ですね、ときた。確信を持った疑問形。ナツミは自然な仕草で立ち上がる。「――違うよ」
「そうですか?」
 レイムは笑っている。最初は穏やかな笑顔に見えたそれも、今はまったく別のモノに見えた。ナツミはそれから無理矢理視線を逸らして、歩き出した。
 キモチワルイ。
 ――コイツと話してると、気分が悪くなる。
 慇懃さで覆った、他人を見下している声も。
 穏やかさで覆った、薄っぺらい笑顔も。
「トリスさん達がどこへ向かったのか、ご存知ですか?」
 無視しようと思っていたのに、思いがけない名前が聞こえて、ナツミは足を止めた。ゆっくりと振り返る。その反応を予期していたレイムの満足そうな顔が気に障ったが、トリスの名前が出てきては無視しているわけにもいかない。
「禁忌の森。結界が張り巡らされ、なんびとたりとも立ち入ることの出来ない場所」
「それは、聞いてる」
「結界は解けるでしょう。アメルさんが同行なさっているので」
「……どういう意味?」
 ナツミの質問に答えずに、レイムは言う。
「おっと、貴方の前ではお喋りになってしまいます。何故でしょうねぇ」レイムは一度目を閉じて、それから開いた。「貴方は、不確定要素なのですよ。できれば、舞台に上がらずに客席にいてもらいたい――そういうことです」
「へえ?」
 レイムが竪琴を軽く爪弾く。強力な魔力を感じて、ナツミは身構えた。
「……わかるのですか」
「あんたが人間じゃないってことくらいはね」
 レイムは緊迫感すら伴ったこの状況に似つかわしくない、いっそ晴れやかとも言える笑顔を顔に貼り付けた。
「やはり貴方は、怖い人だ。ですから――」
 空間が歪んだ。現れたのは、悪魔兵。それも、一体や二体どころの騒ぎではない。この、導きの庭園と呼ばれる場所に、十三体。そして――。
 遠くから、悲鳴が聞こえた。
「――まさか!」
 ナツミは繁華街の方向を一瞥してから、レイムを睨みつけた。
「おお怖い。そのまさかで正解だと思いますよ、ナツミさん」
 ナツミは近寄ってきた悪魔兵を斬り伏せる。そして、レイムに向かって走った。
「あなたの性格では、聖王都を見捨ててトリスさん達を追うことなどできないでしょう?」
 突き出した剣は、どこから取り出したのか、レイムの持つ剣によって弾かれた。
「それでは、私はこれでお暇しましょう。ナツミさん、お元気で」
「この――」
 横に薙いだ剣は、空を切った。レイムの姿はもうそこには無い。
「……虚仮にしてくれんじゃないの」
 ナツミはサモナイト石を取り出すと、それを掲げて叫んだ。
「とらわれの機兵よ!」
 その言葉で、機界ロレイラルの機兵がこの世界に現れる。
 呪文も、儀式も、何も必要無い。ただ、助力を望むだけ。必要とされる真名すらも、ナツミには関係無い。ナツミの呼んだその名前が、そのまま呼び出されたものの真名となる。
 それが、誓約者にしてエルゴの王たるナツミの力。
 呼び出された機兵が、右手の砲身で悪魔兵を一体ずつ撃ち倒していく。その場にいるすべての悪魔兵を倒してから、機兵をロレイラルに送り返し、ナツミは駆け出した。

 聖王都の中は、大混乱だった。
 騎士団が鎮圧に尽力しているものの、街の至る所に現れた悪魔兵をすべて排除できるまでには至らない。
「どーしろって言うのよ!」
 ナツミは辺り構わず暴れまわる悪魔兵と戦いながら、頭を抱えたい気分で剣を振り回していた。両手が塞がっているので頭は抱えられない。手が四本あれば良いのに、なんてことを考えてみたりもした。四本あったところで事態はまったく好転しないのだけれど。
 トリス達が危ない。できればすぐにでも追いかけたい。けれど、このまま聖王都を放り出していくわけにもいかない。でも、トリス達が向かっている先は、思っているよりもずっと大変なことになるような気がする。
「きゃあっ!」
 悲鳴が聞こえた。ナツミがそちらを向くと、ミニスくらいの少女が座りこんで震えていた。その前に、悪魔兵がいる。舌打ちをして、ナツミは走り出した。
 ――間に合う?
 自分への問いかけ。距離は十メートルほど。悪魔兵は槍を構え、後はそれを振り下ろすだけ。ナツミの冷静な部分は、その問いかけにNOと答えた。ナツミ自身はその答えを無視して走った。間に合う。間に合わせてみせる。そう自分に言い聞かせて。
 ナツミは小さな召還術を撃った。目標を外れて、悪魔兵の背後の地面に当たった。突然の乱入に、悪魔兵が僅かに動きを止める。それだけで十分だった。ナツミは走っている勢いをそのまま剣に乗せて、悪魔兵を斬り裂いた。
「大丈夫?」
 ナツミはうずくまっている少女に声をかけた。涙を浮かべたままでナツミを見上げた少女は小さく頷くが、立ちあがることはできない。早く子この場所を離れた方がいいのだが、この少女がこんな様子ではすぐに、というわけにもいかない。
 いくつかの足音が聞こえた。来たか、と思ってナツミは少女を庇うように身構える。
 けれど、姿を現したのは悪魔兵ではなく、蒼の派閥の召還師達だった。彼らは辺りの様子を調べた後、ナツミ達に近づいてきた。
「貴様が、悪魔兵を倒したのか?」
 かちん、ときた。
「……だったらどうだってのよ」
 ハナっから相手を見下しているような態度。出会ったばかりの頃のギブソンも結構ムカつくヤツだったけど、それも今は可愛くすら思える。
「そんなことどうでもいいでしょ! 街がどんな様子なのかわかってんの? さっさとやるべきことをやりなさいよ!」
「それは騎士団の役目だ」
「なっ……」
 言葉が出てこない。一瞬、思考に空白ができた。
 騎士団の役目?
 目の前の光景とあまりに不釣合いな言葉に、ナツミはぎり、と奥歯を噛み締めた。
「強大な魔力が感知された。我々はそれを調べるために行動している。貴様……何か知っているか」
「知らないわよ! ヤル気無いんならさっさとどっか行って!」
 どぉん、と爆発音が響いた。黒煙が上がる。ナツミがそちらを向くと、黒煙を抜けてクラレットが走ってきた。
「クラレット!」
「ナツミ!」
 多少疲れた表情はしているものの、クラレットは無事のようだった。安堵のため息を漏らすと、ナツミはクラレットに駆け寄った。
 それが、隙だった。
 脇に在る小さな路地から、悪魔兵が飛び出してくる。ナツミは反応できなかった。かろうじて体を捻ったが、肩口を浅く斬られた。次の瞬間、悪魔兵はクラレットの召還術によって打ち倒されていた。
「ナツミ! 大丈夫ですか?」
 大丈夫、と片手を上げてクラレットに返事する。斬られた腕は動かせるし、痛みもある。傷は――深くない。
「……リプシー、お願い」
 ふわり、と柔らかな光が傷口に降り注ぎ、傷を癒してしまう。ナツミは腕を動かした。少し引き攣るような感じはするものの、痛みは消えている。これなら大丈夫、と移動しようとした時、それに気付いた。
「何の、積もり?」
 蒼の派閥の召還師達が、ナツミとクラレットを取り囲むように立ち位置を変えていた。「ヤル気ないんなら邪魔すんなって、言わなかったっけ?」
「召還師だな。所属を言え」
「あんた耳ついてんの? それともその陰気くさい顔についてる目は、お飾り? この状況見て、よくそんなこと言ってられるわね! あたしに構ってる暇あるんだったらさっさと――」と、さっきから呆然と事態を見ていた、先ほどの少女に眼をやる。「――その子の保護でもしてあげなさいよ!」
「街の治安は騎士団の仕事だ。我等の任務はこの事態の真相を突き止めること。――これは、貴様達の仕業か?」
 ぷつん、と音がした。それはナツミの頭の中にだけに響いたのだが、ひょっとしたらクラレットにも聞こえたのかもしれなかった。
「ナツミ、待っ――!」
 クラレットの静止の声よりも僅かに早く。
 ナツミの右手の拳が、今の言葉を放った召還師たちのリーダーらしい男を殴り飛ばしていた。

 クラレットが頭を抱えて、ため息を吐いた。

「あーもー! こんなことしてる時間無いってのにー!」
 だんだん、とナツミは足を踏み鳴らす。そんな彼女を見て、クラレットは苦笑いのようなしょうがないなぁ、とでも言うような、そんな顔をする。
「ナツミがいきなり殴り倒したりするからいけないんでしょう」
 呆れてます、というニュアンスを隠そうとしないで、クラレットは言った。ぷうっ、とナツミが頬を膨らます。それを見て、クラレットは少し微笑った。
「まあ、ナツミが怒るのももっともだとは思いますけど」
「でしょ! そうだよね!」
「だからといって、ああいった行動に出るのは誉められたものではありませんけどね」
「う……」
 浮いたり沈んだりが激しいナツミの様子を見ながら、クラレットは目を細めた。青の派閥には良い印象がないので、心情的にはかなりナツミ寄りだったが、それを見せてしまうということは彼女の暴走を肯定してしまうことになるので、なんとかそれを表に出さないようにクラレットは努力した。もうちょっとくらいは反省していてもらわないと。
 蒼の派閥内の一室。二人は今そこにいる。ドアの外には見張りが立っている辺り、軟禁状態と言っても差し支えない。
「……こんなことしてる場合じゃないのに。すぐに、トリス達を追いかけないといけないのに」
「ナツミ、何がありました?」
「うん。あのね――」
 ナツミは、クラレットに説明した。銀髪の変な奴のこと。サプレスの悪魔を一気に街中に溢れるほどに召還したこと。感じた魔力が、明らかに人間のものではなかったこと。トリス達が向かった先で、なにか良からぬことが起きるだろうと仄めかしていたこと。
「その魔力、私も感じました」
「どう思った?」
「……魔王。あるいは、それに類する存在だと思います」
「魔王、かぁ……」
 クラレットはばつの悪そうな顔をすると、繕うように言った。「魔王という選択肢は外して良いと思います。魔王とまでは行きませんが、サプレスからやってきた悪魔――」
「もともとリィンバウムにいたのが、あの時サプレスのマナが大量に流れこんだことで活性化しちゃったのか、それとも……あの時の混乱に紛れて、どさくさにやってきたのか」
「サプレス……前のあの魔王召還の事件が、無関係だとは言えませんね。サプレスのマナが大量に流れこんで、世界のバランスを大きく崩してしまった」
「それを機会として、やってきた、あるいは活動を開始した、と。耳が痛いな。あたしも同罪だぁ」
「ナツミは――」
「関係ない、なんて言わないでよ?」肩を竦めて、ナツミはクラレットに笑いかけた。「そんな事言われたら、泣いちゃうから」
 クラレットが俯いた。否定とも肯定ともつかない、小さな動き。
 さらにナツミが何かを言おうとしたその時、いきなりドアが開いた。

「また派手にやったね、ナツミ」
「ギブソン」
 入ってきたのは、ギブソン。ドアを閉めて、ゆっくりとナツミの前まで歩いてきた。
「よかった」ナツミが言った。「ギブソンが来てくれて」
「どういう意味だい?」怪訝な顔でギブソンが訊き返す。
 ナツミはにっこり笑うと、言った。「もうちょっと待って来なかったら、ここの壁ぶっとばして出ようと思ってたから」
 あんまりといえばあんまりな言葉に、ギブソンは目を丸くする。そして、ギブソンはクラレットに目を向けた。クラレットは苦笑いをして、肩を竦める。――消極的な、肯定。
 青の派閥には、いい印象がない。ギブソンやミモザは、組織の中では相当に例外な人物なのだ。先ほどの連中の態度も然り。ああいった連中と同じ建物の中にいて、同じ空気を吸っているかと思うと胸焼けがする。
「本気、なのかい……?」
「ええ」クラレットは頷いた。「ちょっと、事態が緊迫しているようなので」
「トリス達が危ないっぽいしね」
 そう言ってナツミは立ち上がった。それは意思表示だった。止めたって無駄だぞ、という。クラレットもそれに続いて立ち上がる。
「ギブソンさん、行かせてくださいますね?」念押しをするように、クラレットは言った。
「……わかった。だが、少しくらいは説明してくれないか。君達が何を知ったのか」
 ナツミは、クラレットを振り返った。クラレットは頷く。それを見てから、ナツミはさっきクラレットにしたのと同じ説明を、繰り替えす。
「……わかった。それで、君達はどうするんだ?」
「すぐに出て、トリス達に追いつくよ。レヴァティーン呼んで乗っけてもらえば追いつけると思う」
 しごく真面目な顔でそんなことをナツミは言う。クラレットは思わず頭を抱えた。視界の端っこでギブソンも同じように頭を抱えたそうな顔をしている。
 たしかに、召還獣を移動に使う、というのは発想としてはおかしくはない。現に今だって使われている。空はさすがに危険なのと、そう言った召還獣は技量が必要で、運べる人数も少ないと言うことで実用されてはいないが。けれど、問題はそう言うことではない。クラレットはギブソンと視線を交わした。同じ事を考えていると確認する。

 まさか、霊界サプレスの最高位に位置する召還獣、悪魔すら恐れる神龍レヴァティーンを足代わりに使おうだなんて!

 そんなことをした、否、そんなことを考えた人間ですら皆無だろう。
 ナツミは何か変なことを言ったのだろうか、と疑問符を浮かべて首を傾げている。それを見ていると、クラレットは笑い出したい衝動に駆られた。
 こんなナツミだから。
 ずっと一緒にいたいって思う。
 誰よりも傍にいて。
 誰よりも傍にいたい。
「行きましょう、ナツミ」
「あ、うん」
 ギブソンは何かを諦めたような顔で小さく頭を振ると顔を上げた。何かを言おうと口を開きかけた。その時。
「貴様等か、私の弟子たちに暴行を働いた外道召還師は!」
 そう言って、樽のような――と、後にナツミは言った――体型のやけに態度の大きな中年の男が、先ほどナツミにぐーで殴られた男を引き連れて、部屋に入ってきた。


「フリップ様」ギブソンが言った。「彼女達は外道召還師などではありません」
「ふん。青の派閥に立てつく召還師が外道召還師でなくて何だと言うのだ」
 そう言って、フリップって偉そうなおっさんはあたしを、それからクラレットを見た。「貴様等は――」
 あたしは薄く微笑った。
 クラレットが眉を寄せた。
 理解ったからだ。目の前の男が、サイジェントの事を知っている、と。
「……確かにな。外道召還師という呼び方は当てはまらぬか。できそこないの魔王に、無色の派閥の召還師。外道召還師などと言う呼び方では生温い!」
 あたしとクラレット、それからギブソンは視線を合わせた。
「すまないナツミ」ギブソンが囁く。「君がエルゴの王で誓約者だということは報告していないんだ。それが知られたら、蒼の派閥は君の身柄を拘束することをもう躊躇うことはないだろうから――」
「わかってる」
 小さくギブソンに返して、あたしはフリップを見返した。
「お話は終わりですかぁ? あたしたち用事があるんでー」
「貴様等をここから出すと思っているのか? 貴様等のようなモノは蒼の派閥の管理下になければいけないのだ。特に貴様だ」そう言って、フリップはあたしを見る。「いつ魔王となってリィンバウムを滅ぼすかわかったものではないからなぁ!」
 あたしは椅子に座ってため息をつくと、足を組んだ。「やってもいいけどさ」
「ナツミ?」クラレットが訝しげに言う。
「抵抗するよ、あたし」
 今度こそ。
 あたしは微笑って言った。
「だから、素直に行かせてくれると嬉しいんだけどなぁ。トリスたち心配だし」
「トリス? あの成り上がりのことか。それは都合がいい。やつらが死のうが知ったことか」
「フリップ様!」ギブソンが声を荒げた。「今の発言、見過ごすわけにはいきません!」
「貴様も、やつらの罪を知ればそう思うようにもなる」
「罪? トリスに一体どんな罪があるというのです。派閥に来ることになった原因――召還術の暴走のことなら、あれは事故です! トリスに罪はない!」
「無いものか! やつは――やつらは、生きている、そこに存在している、それこそが罪なのだ」にやり、とフリップは笑った。「そうか、知らなかったのかギブソン・ジラール。やつらのことを。トリスとネスティの家名を」
「トリスと、ネスティ? 家名……?」
「知らぬのなら教えてやろう。トリス・クレスメントとネスティ・ライル。リィンバウムから未来を奪った罪人の一族の末裔だ」
 ギブソンとクラレットが息をのんだ。
「クレスメント……」
「……ライル」
 どちらも、歴史から抹消された一族の家名だった。フリップは陶酔したように語る。かってのリィンバウムでの、異界からの侵略。それに対抗するためにサプレスの悪魔と契約を結び自身の魔力を高めようとしたクレスメント。けれど、悪魔をリィンバウムに招き入れようとしたその土壇場で恐れてしまい、サプレスとリィンバウムを結ぶ門の上に遺跡を築き、報復を恐れて、ライルの一族を抱きこみ召還兵器の開発を始めたこと。人間を守るために戦った天使アルミネ。召還兵器ゲイル。人間のために戦ってくれたアルミネをそのゲイルに改造したこと。そのために異界からリィンバウムを守るために戦ってくれていたものの助力を無くしてしまったこと。
「……ああ、それじゃあ早くトリスに追いつかないとね」話を聞き終わって、あたしはそう言うと立ち上がった。こんなところにいる時間がもったいない。はやく行かなくちゃ。
「ここまで聞いて、貴様等がここから出られると思っているのか」
「出るよ」ナツミは言った。「あたしは、行く。邪魔はさせない」
「この、できそこないの、魔王が―――!」
 ナツミは皮肉を込めて、笑う。
「そーヨ。魔王だモの。蒼の派閥なんてクソ食らえ、よ」
 集まった蒼の派閥の召還師たちが、くちぐちに罵る。魔王、魔王。あたしはその言葉に笑って見せた。魔王らしく、見えるように。
 ――ヤだな。
 バノッサの気持ち、ちょっとわかっちゃった。そして、蒼の派閥への失望感みたいなものもあった。ひょっとしたら、少しは何かを期待していたのかもしれなかった。
 世界がこんな人達ばっかりだったら。あるいは、周りにこんな人達しかいなかったら。 ――ひょっとしたら、あたしもこんな風になっていたのかもしれない。あたしとバノッサは、コインの裏と表みたいなものだったのかもしれない。そう思うと、胸が痛んだ。
 どごんっ、と何かが壊れるような音がした。あたしの後ろ。振り向くと、中庭に面した壁が全壊していて、そこに何か大きな生き物がいる。壊れた壁からは全体像が見えなくて、それがなんなのかわからなかった。その生き物はずいぶん風通しが良くなった壁から一歩下がると、にゅうっと首を部屋の中に突っ込んできた。そして、その首をクラレットに摺り寄せる。
 神龍レヴァティーン。
 召還したのは、さっきからずっと黙っていたクラレット。

「……あまり、ナツミのことを魔王と呼ばないでいただけますか?」

 ぞくり、とした。
 平坦な声。表情の消えた顔。レヴァティーンを従わせたその姿の、圧倒的な存在感。
「この子も、怒っていますよ? ナツミを侮辱されて」
 クラレットの言葉に答えるように、レヴァティーンは口を一度大きく開けた。
「あなたたちのことなんて、私は興味がない。事情だってどうだっていいです。でも――」
 クラレットの目に光が燈った。心まで凍えるような、冷たい光が。
 心臓を直接鷲掴みにされているような痛みが沸き起こってきて、あたしは思わず胸を押さえた。
「ナツミの邪魔をすることだけは、赦さない。ナツミを守るためなら、私は蒼の派閥だって……いいえ、世界を敵に回しても戦ってみせる!」
 風が吹き荒れた。
 クラレットの傍に移動していたあたしとギブソンを避けて、それ以外の全員をその風は吹き飛ばして、壁に叩きつけた。
「……お、おのれ……こんなことをしてただで済むと……」
「そう。じゃあ、このままこの建物吹き飛ばしちゃおうか」
「ナ、ナツミ!」
「じょーだんよ、本気にしないで、ギブソン」
 軽い冗談に何故かかなり焦っているギブソンを置いて、あたしはフリップって人に向き直った。壁に手をついて立ち上がりながら、あたしを睨んでいる。……偉い立場にいるにはそれなりに強くなければいけない、ってことだ。まだ置きあがれないほかの人よりも召還術への抵抗力は高いらしい。
「……どうせ、もう間に合わん」
「負け惜しみ?」
「禁忌の森につく前に、ネスティ=ライルがあの忌まわしきクレスメントの血族である小娘を殺してしまうからな」
「馬鹿な!」ギブソンが叫んだ。
 ネスティ、と聞いてあたしは思い出した。やけにピリピリしていた、あの眼鏡の彼だ。
「ネスティがトリスを殺す? 彼にそんなことができるわけがない! フリップ様、あなたは――っ!」
「気付いたようだな、ギブソン=ジラール。そう。ライルの一族は融機人。やつらはこの世界に存在するあるウィルスに抵抗力がない。人間ならなんの影響も無いものだ。だが、免疫のないやつらには致命傷になる」
「……まさか」
「薬はすべてわしの管理下だ。奴は私の命令に逆らえん!」
 クラレットが駆け出す――よりも早く、ギブソンがフリップを殴り倒していた。
「あなたという人は……!」握り締めた右手をそのままに、ぎり、とギブソンは奥歯を噛み締めた。「……このことはすべて総帥に報告されていただく」
「はっ! わしは危険分子を排除しようとしただけだ! この世界を守ろうとしたのだ! そのわしがどうして罪に問われる!? 総帥もきっとわかってくださるはずだ。あんな罪人どもは生きていてはいかんのだ!」
 クラレットが、掌に爪が食い込むほど強く、手を握り締めていた。あたしはその手を取って、クラレットの手を開いていく。
「行こう、クラレット。時間がもったいない」
「……はい」
「後のことは、私が処理しておく」ギブソンがあたし達に言った。「……トリスとネスティのこと、頼むよ」
「おっけ! 『大事な後輩』だもんね」
「ああ」
 苦笑しながらギブソンは頷く。
 壁が壊れたところから、外に出る。その前に、あたしは一回だけ部屋を振り返った。
 ギブソンが立っているその奥で、フリップは狂ったみたいに笑っていた。再生を止めない壊れたラジカセみたいに、いつまでもいつまでも、笑っていた。


 レヴァティーンの背に乗って、あたし達は禁忌の森を目指していた。こういうの、レヴァティーンは嫌がるかと思ったけれど、お願いすると快く――だと思う、たぶん――背中に乗せてくれた。
「大丈夫だよ、クラレット」
「ナツミ?」
 風が、耳元で喚き散らしている。あたしはクラレットに顔を寄せた。
「あたしが、肯定してあげるから」
 もしも――
「もしも、世界中の人にクラレットが否定されても、あたしはクラレットのこと肯定するから。だから、あんまり深刻に考えないで」
 もうひとつ言いたいことがあったけれど、それは言わないでおくことにした。それはお願いすることじゃなくて、あたしの行動でなんとかすることだ。

『世界を敵に回しても――』

 嬉しかった。
 でも、あたしだってそう。
 あたしだって、クラレットを助けるためなら、世界を敵に回したって怖くない。
 だから。
 ――もう、あんな眼はしないで欲しい。
 涙が出そうになった。あの時のクラレットの眼が、バノッサに似ていて。
 あんな目をさせたいわけじゃない。バノッサを救うことができなかった罪悪感ってわけでもない。ただ――
 ――ただ、クラレットというひとりの女の子に、笑って欲しいだけだから。
「誰もクラレットを責めない。責めさせない。あたしが赦す。クラレットの抱えているもの全部、あたしが赦す」
「ナツミ……」
「――だから、クラレットがこれ以上自分で自分を傷つけるのは、赦さない」





 街の治安を取り戻すために駆け回っていたミモザと共に報告書を作成し終えて、ギブソンはそれを提出するために蒼の派閥総帥、エクス=プリマス=ドラウニーの私室へ来ていた。
「うん、だいたいのところはわかったよ」
 そう言って、報告書に目を通し終えたエクスは頷く。
「フリップのこと、処理しておくよ。まあ、派閥からの除籍は間違いないだろうけど。あと、ネスティの薬の件は、これからはラウル師範に一任することにする。これは完全に完全に僕の失態だ。ネスティにはちゃんと謝っておかないとね。二、三発殴られるのは覚悟しておくよ。ああ、本当は君達に彼女達の手伝いをさせてあげたいんだけど……そうも言っていられない。デグレアの進行が現実的な脅威になりつつある現状では、君達に金の派閥との交渉役を務めてもらわないといけないから」
 フリップの息がかかっている人間を覗くと、フィールドワークをお願いできそうな人材はあんまり残ってないんだよ。そう言ってエクスは肩を竦める。
「わかってます、総帥」ミモザが答えた。
「では、金の派閥と協力を……?」
「うん。ファナンが落ちれば次は聖王都。呑気に静観していられないしね。あとは――」ふ、とエクスの眼がどこか遠くを見るようなものになる。「彼女達次第、かな」
「大丈夫でしょう」ミモザが事も無げに答える。「あの子達なら」
「私もそう信じているよ」
 そんな二人の様子を見ながら、エクスがくすくす笑う。ギブソンとミモザが訝しげな顔を向けると、エクスは笑った顔のままで、言った。
「お姉さんとナツミさん、青の派閥に残ってもらえないかなぁ」
「総帥、それはいったいどういった意味で……?」
 以前のことがあるだけに、ギブソンはやや緊張を帯びた声で問う。ミモザもやや瞳を吊り上げている。
 エクスは苦笑いをして、そういう意味じゃないよ、と顔の前でひらひら手を振った。
「あの二人なら、閉鎖的な蒼の派閥の風通りを良くしてくれるんじゃないかぁ、って思ったんだ」
 実際大きな穴開けてくれたみたいだし。そういってエクスが笑うと、ギブソンもミモザも苦笑した。



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